「旧筑肥線」を辿る旅 ”第三回” 「④ 鳥飼~西新~姪浜 編」です。
ちなみに、前回の記事はコチラ ↓
「鳥飼」→「西新」へ移動
今回は最終回。
「鳥飼駅」を出発し、「西新駅」を通過、そして最終「姪浜駅」でゴールです。
城南区役所を出発し、「荒江2丁目」交差点を通過。
このサトー食鮮館の大きな看板の前を通過すると、まもなく「西新駅跡地」に到着です。
「ファミリーマート 早良昭代3丁目店」に到着。
ここが「西新駅跡地」です。
向かいに見えるな5階建ての建物は、今は「九州電力 独身寮」らしいのですが、
当時の”西新駅舎”の写真を見ると、そのままの姿で残っている事がわかります。
出典:ウィキペディア「西新駅 (国鉄)」
●「西新駅」の歴史
1925年 (大正14) | 北九州鉄道の「西新町駅(にししんまちえき)」として開業 |
1937年 (昭和12) | 国有化で筑肥線となり、西新駅と改称 |
1983年 (昭和58) | 筑肥線の博多 – 姪浜間廃線に伴い廃駅となる |
最終駅「姪浜」を目指す
西新駅を出て、最終地点「姪浜駅」に向かいます。
室見川手前の「JA福岡市 室見支店」です。
昔は、この場所に「筑前庄駅」という駅がこの場所にあったそうです。
営業期間は、昭和6~16年までと10年程だったみたいですが。
色々とググってたら、福岡市のページから関連記事が出てきました。
周りは田畑ばかりで、走っているのは”蒸気機関車”。時代を感じます。
出典:福岡市ホームページ
●「筑前庄駅」の歴史
1931年 (昭和6) | 北九州鉄道の「愛宕神社前駅」として開業 |
1932年 (昭和7) | 駅名を「愛宕神社前駅」から「庄駅」に改称 |
1937年 (昭和12) | 国有化により、駅名を「庄駅」から「筑前庄駅」に改称 |
1941年 (昭和16) | 廃駅となる |
出典:ウィキペディア「筑肥線」
室見川に到着、向こう側は西区です。
「室見川筑肥橋」、列車の車輪ですかね。
サイドも「車輪」と「トンネル」をイメージしたデザインになっています。
桜が良い感じに咲いているので、下に降りてみました。
のどかな河畔の風景で、はるか向こうには”福岡タワー”も見えます。
この時期は、室見川の春を告げる魚「白魚漁」の季節です。
仕掛けの”簗(やな)”を設置して捕獲します。良い時期に来ました。
鳥がギャーギャー言ってるので何かと思ったら、子供たちが餌をやっていました。
結構な争奪戦でしたよ。
室見川を渡ったら、いよいよラストスパート。
都市高速をくぐります。
ちなみに、上のは「修正写真」です。↑
信号の柱が目障りだったので消しちゃいました。ぱっと見は分からないでしょ。
修正前の写真は下です↓
途中で脇に入る道があるので、右側に入り込みます。
現在の市営地下鉄の線路横に来ました。
この沿線の道路が旧筑肥線の線路跡です。
やっと「姪浜駅(南口)」に到着。
ゆっくり辿りましたが、まだ明るい時間に到着できて良かったです。
昔の写真です。
まだ旧筑肥線が営業している時、現在の地下鉄の工事が行われている時期の貴重な写真です ↓
出典:ウィキペディア「小笹駅」
●「姪浜駅」の歴史
1925年 (大正14) | 北九州鉄道の前原駅間の延伸開業に伴い、「姪ノ浜駅」として開業 |
1937年 (昭和12) | 国有化により国鉄の駅となり、「姪浜駅」に改称 |
1983年 (昭和58) | ・筑肥線が廃線となり、駅は高架化され、筑肥線の起点となる ・地下鉄1号線と国鉄筑肥線の相互直通運転を開始 ・福岡市交通局の管轄駅となり、福岡市内駅から外れる |
出典:ウィキペディア「姪浜駅」
過去四回に分けて綴ってきました「筑肥線を辿る旅」もこれにて閉幕です。
途中の”たこ焼き休憩”も入れて、ゆっくりと楽しい旅でした。
また機会があったら、別の線路跡とかも辿りたいと思っています。
では、また次回に。
「関連サイト」
参考サイト | この記事を書くにあたって、参考・引用させて頂いたサイト (厚く御礼申し上げます。順不同) ・旧西新駅から姪浜駅まで辿ってみた【旧筑肥線4/4】【空色ノート】 ・筑肥線の(今)昔 写真集【中村博様のページ】 ・筑肥線(博多-姪浜)その1【さいきの駅舎訪問】 ・「筑肥線」【ウィキペディア】 ・「西新駅 (国鉄)」【ウィキペディア】 ・「姪浜駅」【ウィキペディア】 |
●地図:「西新駅」跡地
●地図:「姪浜駅」
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